哘 清 悦 後 援 会

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ロッカショ(P102〜P103)
私は家族で、米と長芋とトマトを栽培しています。                         朝、窓から差し込む太陽の光を感じて目が覚め、「今日もまた太陽に先を越された」と思いながら、急いでハウスヘ行って見ると、トマトもすでに活動を始めています。                    日中に蓄えた養分を夜の間に果実に送り肥大させ、収穫適期を迎えた果実を、誰でもわかるように赤くしておいてくれます。                                        私はトマトの栽培はできますが、トマトそのものを作ることはできません。              女性が子供を出産することは大変なことだと思います。                       しかし男性と同様、赤子そのものを作ることはできません。                     神様が組み込んで下さったプログラムが、おなかの中で、その通りに展開するのを見守るだけです。   私が30歳の時に長男の光輔が生まれました。                           そして私は、寝返りもまだできずに仰向けに寝ている光輔の顔に自分の顔を近づけ、真上から眺めていました。                                              あまりにその顔や仕草が可愛くて、思わずにっこり微笑みました。                  すると、光輔もにっこりと微笑みました。                             予想しなかった反応に驚き、「どこで微笑み方を習ってきたんだ!」と思いました。          光輔は自分がどんな表情で微笑んでいるのかもわからないはずです。                 私には、神様が、自分の力では何もできない赤子が、人々に愛されて育ててもらえるようにと願い、可愛く微笑む術を授けて、この世に送り出したのではないかと思えました。                 その光輔が3歳の頃、私が仕事をしているハウスで夕方まで遊んでいましたが、おなかも空いただろうと思い先に家に帰らせました。                                    しばらくすると、「カラカラ」と聞き覚えのある音が近づいてきました。              「まさか」と思って振り返ると光輔でした。                            家からハウスまでは緩い上り坂になっていますが、補助車輪が付いている自転車で戻ってきていました。 驚いて、「どうしたんだ?」と聞くと、「お父さんがおなかが空いたかと思ってパンを持って来た!」と言いました。                                           自転車のカゴの中を見ると、あんパンが入っていました。まったく予想もしない言葉でした。      神様は、人を思う心、親を思う心までも授けて下さったのかと思い、とてもありがたいと思いました。  そして二人で向き合って座りパンを食べました。                          光輔はおいしそうにパンを食べていましたが、私はもう胸が一杯になっていました。          この出来事は、私の脳裏に深く刻み込まれました。                         その日は神様に、「この子は私が全力で守り育てます」と、かたく誓った日となりました。       私たちは、「子供を作る」ではなく、「子供を授かる」と言わなくてはなりません。          私たち人間が生きていくために必要な物は、「電気やお金」ではなく、空気・水・食糧です。      六ヶ所村では今、神様から離れた傲慢な人間たちが、自分たちの無知と無力さに気づかずに作り出した人工放射能を、空と海に撒き散らしています。                             それは自然を完璧に創られた神様を侮り挑発する行為です。                     その報いは、私たちすべての人間にはねかえってきます。                      私たちは彼らに、自分が何をしているのかを、早くわからせなくてはなりません。           私たちが愛する子や孫のためにも。