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七戸町男女共同参画基本計画より)【韓国編】

20年前に韓国を訪ねたときに、ほんの2〜3分、グループからはぐれた。そのときにそれまでの人生で味わったことがない不安感を知った。 当時の韓国は、強制労働、従軍慰安婦問題で反日感情がまともにぶつけられるようなところがあったのも理由の中にはあるかもしれない。それは命をとられるという恐怖とは違う。高校で初めて親元を離れて下宿生活を始めたときとは比べようもない、言葉が通じない外国で一人きりになるということ、仲間がいない場所ということの不安感だ。いまも言葉に表せない強烈な不安感。だから来日した外国人には出来るだけ手を貸してあげたいと思うようになった。

それとは別にそれまでの人生で、韓国人と関わったことがないのに、ものすごい反感をぶつけられて、韓国人とだけは付き合えないと思った私だが、いつの間にか親韓で知られるようになっている。そうなるといろんなことを質問されるようになり、知らなければならないことがなくならない。

反感のなぜ

韓国人の日本に対する反感の理由(強制労働、従軍慰安婦)

20年前、当時出会った韓国の人たちは、必ず強制労働についての意見を求めてきた。私を含めたグループの多くの意見は「自分が関わったわけでもないのに詰問されても答えようが無い。戦争中だからしかたない。何十年も前のことをいつまでもしつこい。」といったものだった。

外国人捕虜じゃなく、日本人としての軍事徴用

朝鮮半島の人たちが日本に連れてこられたのは、日本が戦争で朝鮮に勝って占領して捕虜として連れてきたのではなく、1910年に日韓併合があって、終戦の1945年8月15日まで朝鮮半島は、日本の領土だったから日本の国民として徴用されたのだとわかった。私はずっと別な国だと思っていた。そのことがまた、そんなことも知らないくらい関心が無いのかと言われるのだが。

強制労働は戦時中の大日本帝国が行った労務作業のための軍事徴用(徴兵は赤紙)のことのようだ。赤紙がそうであったように、軍事徴用の白紙も断ることは出来ない国の命令だったのだから「強制」と受け止められるのは当然といえる。従軍慰安婦も同じ徴用もあったようだ。日本と韓国の話をするときに、両国の歴史的な交わりを知らない若い日本人が多いことも韓国人の不快を招いていることもわかった。

日韓併合

欧米列強の植民地政策に対抗するために明治維新後、急激な軍国主義に向かった日本に比べて軍備の近代化が遅れていた朝鮮半島を、ほうっておくと欧米の植民地にされ、日本の脅威になると考えた大日本帝国が、朝鮮半島に軍を駐留させ、威圧的に併合したとわかった。「伊藤博文」が暗殺されたのは、この併合の過程、その後の政策に対する不満が原因というのもわかった。

強制労働

強制労働と聞くと、過酷な労働が思い浮かぶが、実際はどうであったのかをわかる範囲で調べてみた。上北鉱山の例をみると朝鮮半島から連れてきた人は、日本人とは別な地域にまとまって住まわされ、日本人よりも危険な作業に当たらされ日本人の目に触れないように坑道に出入りさせていたという。落盤事故で亡くなった人もいたがその埋めた場所、墓の場所はわからなくなっている。

上北鉱山もそうだが、人里はなれた場所での過酷な労働は、労働力の確保のために、出入管理が厳しく行われたようだ。戦時中でもあり、食事も満足なものにはなるわけがなく、命にかかわる危険な作業なのに辞めることも逃げることも出来ない。現在のように労働基準があったわけでもないから賃金もピンハネされていたようだ。

強制労働というキーワードの中で、たこ部屋という言葉に出会った。


共通点

たこ部屋の始まりは、明治の北海道開拓にあったようで、鉄道の敷設や鉱山労働に労働力の確保が困難な北海道で受刑者を作業に当てたことにあるようだ。そのうちに甘い言葉で内地(本州)から出稼ぎを募り、そのかわりにあてるようになった。扱いは受刑者と変わらないものだったようだ。青森県でも旧斗南藩の資料に生活苦の多くの人が、たこ部屋に送り込まれた話があった。

従軍慰安婦にいろいろなイメージを持った人がいるとは思うが、私の調べたことはこうだった。

従軍慰安婦は軍に同行する公娼だが、これも登場は明治時代のことだ。昭和初期の県内のある役場からの通達の中で、「娘売り禁止」の言葉を見つけた。口減らしに娘を売春婦に売ることが、この地域では昭和の初めまであったということだ。確かに公娼「赤線」がなくなったのは戦後の昭和33年のこと。どんな人がその職についていたかは想像にかたくない。南部藩江戸屋敷は今の墨田区役所・アサヒビールのところにあったのだが、隅田川を挟んだ向かいの浅草は浅草寺の裏側の吉原がふつうに見える。津軽藩の江戸屋敷だってすぐ近くだが。

従軍慰安婦に朝鮮人を徴用するという発想は、日露戦争の従軍慰安婦が郷里の幼馴染では兵士の志気に悪影響があるからだと聞いた。


知らない

今も関西を中心に日本中に在日朝鮮・韓国人が大勢いるが、この人たちは軍事徴用で来日した人たちではない。なぜなら軍事徴用で来日した人たちには引揚船が用意され帰国できたからだ。その引揚に際しても別にあげる「浮島丸」事故が起きている。また、戦前の関東大震災のときには、朝鮮人が襲ってくるという噂がひろがり、数百人から数千人の在日の人が自警団によってリンチを加えられ命を落とした。(人数以前にこのような悲劇があったことが重要だと思う。)この時代に日本にいたのは併合時の農地測量で、土地の所有権を証明出来ないために国(日本)に農地を取り上げられ土地を失って出稼ぎに出た農民。もちろん中には野心を持って来日した人もいるだろう。伊藤博文が暗殺されたことは知っていても、なぜ暗殺されたか、暗殺した「安重根」が朝鮮民族のヒーローなのはなぜかを知っている日本人はどれだけいるだろう。

そしてこのことは、併合時代の日本の中で日本人同士が関わった日本人の歴史でもある。

もとをたどれば、稲作を広めた弥生人のルーツも聖徳太子の時代に日本に仏教を広めたのも、また聖徳太子の家庭教師も五重塔の設計も高句麗、百済、新羅といった古代朝鮮だったのに、いつの間に日本人より一段低い民族であるかのような扱いになったのだろう。実際、戦前の日本にあった身分制度では、日本人の「士族、平民」と併記で、はっきりと「半島」と記載されている。


日韓併合

1986年に日本は軍事的に朝鮮半島を保護する条約を結び、1910年には朝鮮半島を属国にする条約を結んだ。この過程では後に明らかになった日本との関係に懐疑的であった王妃の暗殺事件も起きている。また、朝鮮王朝は国際連盟にこの条約が脅迫によるもので無効と言う訴えも起こしていた。この訴えは欧米に黙殺されていたことが後に分かっている。

当時日本では教育勅語による日本人として有るべき姿教育と神武東征に始まる日本建国の神話に基づく歴史観が植えつけられていた。この日韓併合によって、朝鮮民族は日本国民として神国日本の大和民族の下に位置づけられた。当時の日本政府が朝鮮総督府に「朝鮮人は野蛮で不潔」という通達を出している。

見たことも会った事もないうちから日本人は朝鮮民族を見下していた。このことが関東大震災の後の大量虐殺に繋がったのは明らかだろう。


1945年8月15日

1945年8月15日に日本が無条件降伏したことで朝鮮半島は日本でなくなったが、このことで在日の朝鮮人は日本人としての義務からも解放されたが権利も失った。戦争の被災者でも日本政府からは何の援助も受けられなくなった。これは広島や長崎で日本人として被爆してもなんの保護も受けられないことを意味していた。北朝鮮、韓国が建国するまで無政府状態の地域が誕生したとも言える。

朝鮮半島の鉄道網の北側を満鉄が管理していたことが、戦後、朝鮮半島の占領統治の際に満州鉄道をソビエト、朝鮮鉄道をアメリカ中心の連合国に分けたことが南北の分割のきっかけを作ってしまったことを知っている日本人はほとんどいないだろう。もちろんソビエトと連合国がそれぞれに新しい政権を建てたことは戦後の冷戦の流れの中のことで全ての責任が日本にあるとしているわけではない。


浮島丸

太平洋戦争終了直後の8月23日青森県むつ市大湊港から朝鮮半島への引揚者を乗せた「浮島丸」という船が出港した。船底までびっしりと乗っていたという証言も有るこの船は、目的地の釜山に向かわず、進路を変えて京都府の舞鶴港に入港しようとして触雷(説)により沈没。戦後の洞爺丸事故に次ぐ多くの犠牲者が出た。地元舞鶴の住民が救助活動を行って助かった人も大勢いたようだ。

浮島丸の引上げは、朝鮮戦争特需の時に物資としての必要から行われ、その時に多くの遺骨が回収されている。その遺骨は厚生省が管理していて遺族への引渡しには応じていない。引上げの際に事故原因は究明されていない。


永住外国人

戦後60年の中で在日も世代を重ね、日本で生まれ日本で教育を受け日本語をネイティブに話す大韓民国・北朝鮮国籍の世代が増えてきている。この人たちは住民税も固定資産税も所得税も納めている。もちろん消費税も。

永住外国人の住民投票権については、地域生活における地域の決め事に応分の権利をというもので、外交で利権対立する外国人の意見は入れられないというのは、いかにも了見の狭いことの様に見える。町内会や町議会で外交・軍事を語ったことが外交・軍事にどれほど影響するのか。

これからもずっと日本に住み続けるのなら「帰化」をすればいいという人もいる。朝鮮民族は文化的に祖先とのつながりを大切にする民族で何代前の先祖はどこの町に住んでいた何と言う名前の人だと即座にいえるほどだ。日本でもふるさと納税があるではないか。帰化をすることで得る権利と失うもののバランスを考えての選択なのだから帰化をすればいいというのはドライな言い方だ。

現に私達のまわりにだって、住所を青森に置いたまま出稼ぎに行っている人がたくさんいる。その人たちにも家族を連れて出て行けといいますか。

日本の都合で日本人になって日本に渡り、日本に生活基盤を作ったが、戦争でまた日本人で無くなったが生活基盤のある日本に住み続けている人たちには、地域住民としての権利を与えてもいいのではないだろうか。